最終話 新しい未来へ

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ただ、絵だけ見ていれば、それなりに物語の流れはわかった。 「恐ろしい女やってんなぁ」 父親の呟きに、何となく腹が立って「恐ろしないよ」とボソリと批難する。 「え、なんて?」 「なんでもないよ」 夢の中の清姫は、自分勝手で我儘で横暴で、でも面白くて憎めない奴で。 純粋に安珍に恋をする女の子だった。 ただ、自分が作り出した夢の話であったので、ムキになって否定するのは虚しい。 頭の中を疑われても仕方ないだろう。 参拝客の長い列に暫く並んでいると、ようやく順番が回ってきた。 御本尊の前に清酒とからしを備え、手を合わせる。 隣の母親が手を合わせながら言った。 「あんた、ようお願いしときや。東京の学校受験するんやから」 「え、お姉ちゃん東京の学校受けるん?なんで?」 手を合わせて拝んでいた弟が、ハッと飛び上がった。 呆れて嘆息しつつ、深く手を合わせて頭を下げる。 「じぃちゃんの知り合いに東京の人おってな、下宿出来るみたいやから、そこにしたんや」 参拝を終えると、脇のスロープから建物の外へ出た。 後から、弟が慌てて付いてくる。 「え、めっちゃ羨ましいんやけど。俺も東京行きたい」 「私がそこの高校受かったら、夏休みに遊びに来たらええよ。受かったら、やけど」 「え、絶対受かってや!俺もめっちゃお願いしたったのに」 「うるさいなぁ、あんたの助けはいらんねん」 ずかずかと石砂利の上を歩きながら、失礼な弟をたしなめる。 (別に、東京やなくても、地元じゃない遠い場所やったら、別にどこでも良かったんや。でも…) 祖父から東京の話が出た時、自分は何の躊躇いもなくその話にのっていた。 別に東京に憧れている訳でも、その高校に進学したい熱意があった訳でもない。 でもなぜか、行かなくてはいけないと言う気持ちに駆られてしまったのだ。 少し懸念があるとすれば、下宿先がお寺だと言う事くらいだ。 (あの夢のせいにでも、しておこう…) 夢の中の、会ったこともない無愛想な少年が目に浮かぶ。 ひどく胸が、切なくなった。 「さぁ、あそこで飯食って行くか」 車に戻ると、寒さからいくぶん解放されてホッと息をついた。 今年の正月はとても寒い。 明日は南部でも雪が降るかもしれないと、お天気キャスターのお姉さんが陽気に話していた。 父が走らせる車は、茅葺き屋根のお食事処の前で停まった。 毎年恒例なのだろう、家族は慣れた様子で店へ入っていく。 自分も後に続こうとしたが、ふと清姫堂の事を思い出して足を止めた。 「ちょっと適当に頼んどいて。私、清姫堂見てくるわ」 そう言って踵を返した時、父親が「ちょっと待て」と呼び止めてきた。 「ここで待ち合わせしてる人がおるから、はよ戻って来いよ。お前の下宿先の人がな、顔合わせに、空港から直接こっちに来るらしいんや」 急な話だと思いながら、「うん」と生返事を返して駆け出す。 清姫堂は、お食事処から歩いてすぐだった。 そこは、清姫の墓と書かれた石碑が建つ、小さな御堂だった。 境内には一面に砂利が敷かれ、周囲は古い木々で囲まれている。 すぐ下の崖には、大きな川がキラキラと水面を輝かせていた。 とても、静かな場所だった。 低い石段を登り、清姫堂の前に立つ。 赤い着物を身に付けた清姫像があり、それを暫く見つめ、そっと両手を合わせた。 いつも見る夢の記憶が、不思議と頭に蘇る。 小さな蛇の姿をして現れた清姫。 安珍を探したいのだという彼女に、散々振り回されてしまう自分。 間抜けな二匹の獅子。 周囲に翻弄される自分を、常々助けてくれる男の子。 東京で知り合った、おかしな人達。 清姫の為に鬼神と戦う安珍。 そして、安珍の魂の欠片であった自分。 最後は鬼神を消し去り、安珍の魂へと還った。 今ここにいる自分は、決してそれを体験した訳では無い。 間違っても父親は東京に転勤などしていないし、あの土地で、あの家で、15年間、普通に毎日を生きてきた。 夢物語のような不思議な体験など、この身に起こった事はない。 自分が辿って来た時間と記憶、それだけは、確かなのだ。 なのにこの夢は、鮮明に映像を自分に見せ、現実と空想の境を乱してくる。 (これは、誰の記憶なんや……) キュッと唇を噛んだ時、ふいに誰かに呼ばれた気がして振り返った。 それは、気が強そうで甲高い、懐かしい声だった。 だが、振り返った先には、誰もいなかった。 「キヨヒメ………」 ポツリと、口からこぼれ落ちる。
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