最終話 新しい未来へ

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何を言っているんだと苦笑した後、もう一度清姫堂に振り返った。 清姫の像は、どこか寂しそうに見えた。 「なんでかな、あなたにすごく、会いたいや」 言いようのない虚しさと寂しさに、胸が急に苦しくなる。 (あほ、あれは夢なんや。実際に体験したものじゃないし、私の記憶でもない。ただの、夢でしかないんや) 必死に自分に言い聞かせ、苦しくなる胸を両手でグッと押さえ込む。 だが、胸は苦しくなるばかりだった。 (ただの夢やって、分かる。分かってる。でも、どうしても、会いたい。この目で、この体で、確かめたい) 震える息を、そっと吐き出す。 (あの約束を、果たしたい…__) 不意に、境内の周辺を囲っている木々がざわめいた。 冷たい、それでいて優しい風が背後から吹き抜けてくる。 乱れる髪を押さえながらそっと振り返ると、石段の下に、一人の少年が佇んでいた。 誰だろうと目を凝らした瞬間、強い風が吹いて枯れ葉が舞い上がる。 うっ、と顔をしかめて目を瞑った時、夢で見た少年がハッキリと目に映った。 (名前、そう、名前は…) 恐る恐る目を開き、そこにいるはずの少年を確かめる。 少年は、精悍な顔で、こちらを静かに見つめていた。 「こんにちは」 彼がそう挨拶するまで、息が止まっていた気がする。 深い水底から這い上がり、やっと息が出来たような気分で、声を絞り出した。 「こ、こんにちは…」 少年はこちらに近づいてくる気はなさそうだった。 清姫堂に参る気配もなく、ただ静かに佇んでいる。 表情もなく、何を考えているのか分からない顔だった。 「夢を、見てるんです」 脈絡なく、彼は突然そう言った。 しかし、自分は不思議と驚かなかった。むしろ、その言葉を待っていた気がする。 「夢って…」 「清姫と安珍、そして__、君の夢を」 震えそうになる息をグッと飲み込み、急いてしまう気持ちを必死で抑えながら、恐る恐る訪ねた。 「その夢って__、人騒がせな神様に、振り回される、夢?」 コクリと頷く少年に、言い募る。 「やけに不遜な態度の獅子とか、生意気な子供とゲンゴロウとか、腹立つクラスの派閥とか、小学生の痴話喧嘩とか、めっちゃ怖い鬼神とか、そう言う、夢?」 少年は頷く代わりに、石段を一段上がった。 「君も、その夢を…?」 大きく頷き、熱くなる胸の内を、深い息で吐き出す。 そして震える声で、そっと言った。 「二人が交わした、約束も…」 少年は足を止めると、外気でほんのり赤くなった鼻をマフラーに埋め、いくばくか押し黙った。 固唾を飲んで彼の言葉を待っていると、マフラーに隠れた顔が不意に上げられ、どこか泣きそうな顔が現れた。 「この夢は、俺自身の体験や記憶じゃない。たぶんこれは、君が消えた世界の__、早松奏多の記憶なんだ」 彼の表情につられた訳ではない。 込み上がる熱い思いが、瞳から溢れて止められなかった。 「じゃあ、私の夢も…」 「俺達の為に、清姫と安珍が見せた夢なのかもしれない」 ポロポロと涙が頬を滑る。 ぐしぐしと腕で涙を拭っていると、いつの間にか石段を登って来ていた少年が、一段下で晴れやかに微笑んでいた。 「だから、約束、果たしに来たんだ」 「約、束…」 涙でぼんやりと滲む視界の先に、自分の知る早松奏多が、確かにそこにいた。 自分の手を引き、いつも支えてくれた少年。 特別な感情が、堰を切ったように溢れてくる。 子供のようにしゃくり上げながら、懸命に言葉を紡いだ。 「これが、見せられた夢でも、この世界に生きる私の記憶やなかったとしても、これはきっと私の物語なんや__。やから、言ってもええかな?」 優しく微笑む少年が、答えるように両手を広げる。 その腕の中へ、少女は躊躇いなく飛び込んだ。 「見つけた__!」 「俺も、見つけた」 重なる二つの影に。 お堂の中にある清姫の像が、にっこりと微笑んだのだった。 ◇ ◇ ◇
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