紫煙のディアロゴス

師弟の何気ない日常の一コマ

「先生、タバコは吸いすぎなくても毒ですよ」
「ああ」
　無精ひげの中年は、喉の奥からそう声を漏らした。それは痰の絡んだ生返事だ。証拠に口にくわえた紙巻の穂先に焔は宿り、煙は昇り竜のごとく体を巻きつつ空気へ解ける。
　この紫煙に私怨はない。副流煙の害は言わずもがな、人々の間に知れ渡っている。でも、先生のは嫌じゃない。心をとろかし、体に蜜が満ちていくようなのだ。それほど煙は甘ったるく香ばしい。ただ、私は先生にいつまでも健康でいて欲しいと願う。もっとも近くにいるファンとして、たくさんの新しい物語をいつまでも紡いでいただきたい。
「また、中途半端な返事をなさって、僕は先生の健康を気遣っているのですよ」
「おう、ありがとさん」
「感謝は態度で示してください」
「お前こそ、師匠への感謝は態度で示したらどうだね」
「これでも感謝を込めて、家事や先生の体調管理をさせていただいているのですが」
「そこはいつも助かっておる。だが思想や思考の至高な表現を目指す我々は、実生活においても思想や思考を実践すべきだ」
「思考、至高とおっしゃいますが、それと嗜好品は何の関係がございまして？」
「個人の自由だ」
「なるほど、ということはミルの記したような、他人を害さない限り許される行動や思想の自由というわけでありましょうか？」
「そうだ」
「しかし、タバコには副流煙がございます。副流煙の周囲への害は、博識な先生でしたら、まばたきのやり方のごとく至極当然な知識でございましょう」
「この部屋には私と君しかおらん。君は私が喫煙中、別の部屋で物語を紡ぐこともできるだろう」
「はい」
「それに、君がこの毒の煙を嫌がっていないのは知っている」
「そんなわけ――」