雲のうさぎ

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「ありがとうね。重いでしょ」 「いや、全然」  ネギの飛び出した買い物袋を女の代わりに持ち、男は横に並んで歩いた。 「ごめんね、送ってもらっちゃって。家、ちょっと遠いけど」 「そうなんだ。でもこの辺、いいところだね」 「実家の手伝いは随分前に辞めて、その時に一人でここに来たの。まさかあなたがこのあたりで働いてると思わなかった」 「僕も、全然知らなかった。一人で住んでるんだ」  ううん、今は、別の人と。そう言って女は顔の前で手を振った。その左手の薬指には、指輪が光っていた。それにちらりと目をやった男が「結婚したの」と尋ねると、「いや、まだ。来月するの」と、女は小さな声で答えた。  商店街を抜けて、二人は住宅街に出た。あまり上手くないピアノの音が流れてくる。 「付き合ってた時に、よく行ったパン屋さん覚えてる?」  女が尋ねた。 「あなたの家の、最寄り駅の向かい側にあった」 「ああ、あれか」 「あの店のね、姉妹店が隣町にあったの。それで、この前そこの塩パンを食べたんだけど、全く味がおんなじで。懐かしくなっちゃった」 「塩パンか。確かに懐かしいな」  男は呟くように言った。それから、二人はしばらく無言で歩いた。 「なんで、離れてたら上手くいかないと思ったんだろうね」  女のその言葉に、男は返事をしなかった。 「あの時の自分に会えたら、何を言いたいかなあって、たまに考えるんだ」  夕刊を届ける新聞屋のスクーターが二人の側を通り過ぎて行った。広い空の下半分が、うっすらと赤らんでいる。 「あ、うさぎ」  唐突に女が言った。男は顔を左右に動かした。 「いなくない?」 「え?」 「うさぎ。猫ならいるかもしれないけど。どこかの庭にいたの?」  女は足を止めて、先へ歩いていく男の後ろ姿を見つめていた。
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