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ふと彼女のあの怯えた顔が蘇ってきたのだ。
あの貴族のお嬢様のことだ。きっと血だらけの人間なんてみたら、また気の毒なくらい恐怖に震えるのだろう。
そしてあの目は何だかとても不快だった。
そんなことを思い出していたら、僕は急に彼を襲う気力が失せてしまった。
とは言え、別に彼のことを赦すつもりも1ミリもなかった。
僕は木の上を上手くつたい歩き、彼の頭上の枝まで来た。そして足元の枝を大きく揺さぶり落とした。
落下したそれは彼の頭ギリギリをかすっていった。彼は驚き、憎しみをもって僕を睨み付けたが、その顔もすぐに崩れ去ってしまった。
というのも、落ちた枝から低い音を立てて、暗いものが大量に飛び出てきたからであった。
ちなみにそれは蜂である。勿論僕はそこに蜂の巣があることを知っていて落とした。慌てふためく彼の姿は、なかなかな面白いものであった。
「ふふっ」
後ろから風に乗って軽やかな笑い声が聞こえた。先ほどまで青い顔をしていた彼女も、僕と一緒に笑っていた。
それから彼は彼女に求婚を迫ることも、僕の目の前に現れることもなくなった。
ただ1つ変わったことがあった。あの日以来、彼女は雨だろうと雪だろうと霧であろうと、必ず僕のこの木のところへ来るようになった。
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