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トク、トク、トク、
心臓が響いている。
もしもこんなの聴かれたんじゃ、今までのおれのキャラが台無しだなあって。
はあ。
白い息が風に流されていった。繰り返しそんなことをやってみる。そういえば小さいときって、こんなことを楽しげにやってたよな。自分の吐く息が白くなって不思議で、なんていうか、自分のしっぽをおいかける子猫みたいだ。
もうそんなガキじゃねぇっての。
ダッフルコートの中の手をギュッとにぎった。すっかり汗ばんで蒸している。靴下よりもひどいかもしれない。
幸いなのは、雪。ほっぺたに落ちてくれると体から余分な熱を奪ってくれる。
はあ。
こっちは、純度100%の溜め息だ。
ピー、カシャ。
おれたちが今見ている景色がその箱の中に記憶されていく。
ピー、カシャ。
数秒ごときで世界なんて変わりはしないのに、こいつはジグソーパズルのピースでも繋ぎ合わせるみたく写真を撮り続ける。
心臓の音も、コートの中の手の汗も、赤くなってるだろう頬も、溜め息も、そんなものには目もくれず、ファインダーから視える世界を、記憶を、忘れまいと外部記憶領域に刻み付けていた。
っていうことは、いつか忘れちまうかもってことなんだろうな。
おれも、こいつも、おれたちは。
雪に埋まってしまった景色よりも、緑が芽吹く季節が好きだ。
単純に寒くないし。靴下が無事だし。
春になれば緑がひろがって、ここにはちっさい薄青の花がたくさん咲く。そしたら小学生の女の子がやってきて、ここは花かんむりの製造工場に早変わりだ。おれも昔は従業員だった。無給かつ残業は当たり前のブラック企業。社長、早く帰りましょうぜ。なんてね。
なあ帰ろうぜ。
それは今日はおれからは言わない。
それじゃ帰ろっか。
それもまだ聞きたくない。
はあ。
ただの白い息が50%、溜め息が40%、
がんばれおれ、が10%。
靴下よりも蒸した手をにぎった。顔は冷却を振り切った。
「なあ。またさ、見にくりゃいいんじゃねぇの」
トクン、
心臓が鳴った。
そんな顔をするからさ、おれすげえ変なこと言ったみたいじゃん。
わすれなぐさ。
とそんな顔したまま言われた。
知らない?
と言われても、なんのことだか。
どんかん。
おれは頭をかいた。
はあ。
白い息が風に泳ぐ。
世界は数秒で変わる、そんな風に思った。
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