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正面玄関をくぐると、一瞬面食らう光景だった。
室内は思いの外まばゆく電燈が灯されており、昼間の星のような煌めきは見上げるような西邦式の高天井へと視線を導く。こぼれ落ちる光は白い石造りの壁を滑り落ち、歩く者の威圧感を軽減する赤い絨毯で跳ね、固く閉ざされたカーテンで弾き返された。しかし、感動もそれまでだ。
「将校及ビ許可者以外之立入禁ズ」
調度品と釣り合いの取れない武骨な木材に、これまた荒々しい筆致で帝国の言語が書かれている。まるで外国人が利用する事を想像していない単一言語の案内は、現在のホテルの主が何者なのかを如実に語っていた。
本来ならば宿泊客、そしてそれを訪ねてきた人物たちが膝を突き合わせ談笑できるように作られた空間だったのだろう。そのロビーは無造作に積み上げられた行李、弾薬箱、そして現在の”宿泊客“の持ち物であろう銃火器類で埋め尽くされていた。現在は、帝国陸軍及び国境警備軍の将校たちの集会所として占拠された高級ホテルの成れの果てだ。
軍隊色に蹂躙されたロビーを見れば文化人連中が卒倒しそうな様相を呈していたが、わずかに聞こえてくる音楽は変わらないようだった。 しかし、ロビーですれ違う兵隊と敬礼を交わし、奥のホールへ進むにつれてその希望もじりじりと削り取られていく。
歩を進めるたびに強くなる煙草の臭い、そして速度の狂った蓄音機から金切り声めいて絞り出される下品な流行歌はホテルの品格に似つかわしくなかった。ホールの入口に達するころには、女の嬌声までも追加された。
泥酔した将校が一人、調子の外れた鼻歌と共に覚束ない足取りで角を曲がる。釦をすべて外した軍衣の裾をばたつかせながら便所とも自室ともつかない方向へふらりと歩いていた時、床をなぞっていた視線が何かを捉えた。
革の造形物。赤い床を絨毯の存在なぞ感じさせないほどにしっかりと踏みしめ、定規で測ったように等間隔で前方に突き出される。確固たる意志のようなものを発散させながら廊下を進んでくる一対の脚。神経が勝手に乾いた足音を追加したのだろうか、規則正しい音が聞こえてくるような気さえしてきた。そして何かを思い出す。
「閣下!」
まるで将官が師団本部を闊歩するかのような威厳を感じだのだろう。思わず中尉の階級章を付けた襟を揺すって礼をしてしまった。
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