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「湊大尉どのはおられますか」
「……あちらだ。踊ってる連中の向こう。酒を飲んでる」
入口脇で出入りする人間の名前をしたためていた曹長へ敬礼し、訊ねるとすぐにホールの奥を指差して答えた。
彼もまたこの乱痴気騒ぎに少し嫌気がさしていたのであろう。"連中"と口にする時は少し声を落とし、横目で群衆をチラリと見やりながら目を細めていた。
文緒は礼を言って再び別れの敬礼を決めると、行き交い、踊り、騒いでいる将校達の奥、どうやらダンスホールに併設されたバーカウンターであったと思しき一角へ近づき左見右見、目当ての人物を探した。
「………………いた」
湊大尉は、近しい人々と若干の女性を交え、卓の一つを囲んで談笑中であった。廊下ですれ違った泥酔者と比べれば幾分か知的な登場に、文緒は胸中のどこかで安堵の声を漏らさずにはいられない。
とはいえ彼女も、つかつかと歩み寄り会話を中断させる野暮をやらかしたりはしなかった。折角のジョークが落ちに差し掛かってるというのに水を差していては、日頃の副官事務も務まるまい。
そういう意味では、文緒は相当"出来る"下士官と言えたが、肝心の本人は悲しきかな出世願望はそれほど強くもないのであったが。
そして、そんな文緒を見止めたのか湊大尉が片手を挙げる。
その頃には、文緒の敬礼は人差し指を軍帽の縁へ当てる最終段階へと差し掛かっていた。
「もう少しだ。学友にサービスさせてくれ」
文緒は、困ったように眉を下げて笑う。
「そのご様子ですと、三時間といったところですか?」
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