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痛みに僕は息を吸いこんだ。
叫んでも声は出ない。
ならば叫ばない理由があるだろうか。
声のない声で力の限り叫んだ。
震える手でテーブルの上をなぎはらい、割れていくガラスに自分の痛みを重ねる。
きっと帰ってこない。
今度こそはうまくいくに違いない。
なんでもないように、痛みの証拠をとりつくろう時間はたくさんある。
それが僕の心を踏み潰した。
壁に飾った風景の写真は二人で行ったいろんな場所のものだった。
けれど、僕も君もそこには写っていない。
だって、そこがどこかを君は忘れてしまった。
もし、どこかと聞かれても僕は答えられない。
それは僕たちがひとつであった頃の記憶だ。
僕らが愛しあっていた証拠だった。
泣きながら僕は僕らの姿をその写真から切りとった。
そうして飾り直した写真のガラスを僕は拳で叩きわった。
何度も、何枚も。繰りかえされた蛮行に、ついに僕の手から血が流れた。
ああ、これじゃあ、いいわけができない。ばかだな。なにをしているんだ。
自分のしたことによろよろとあとずさり、その場にへたりこんだ。
しなければいけないこと。
この部屋を片づけねばならない。証拠を消さなくては。
そう思うのに僕はもう立ちあがることはできなかった。
時間はあるというのに。僕は息もできないほど絶望している。
彼のように忘れてしまえたら。いや、忘れられるわけがない。
けれど彼は忘れてしまったじゃないか。彼はもしかしたら、僕ほど僕を愛してはいないのかもしれない。いや、そんなはずはない。僕らが本当に愛しあっていたからこそ、呪いはかかったのだ。そうであるはずだ。
思考は定まらず、胸の中の結晶がぎしぎしと音をたてた。
がさがさと風袋のなる音、かつんかつんと廊下を歩く音に、近所の誰かが帰って来たのだと身をちぢめた。僕の声を聞きとがめる者はいないだろう。声は出ないのだから、けれど、僕の起こした破壊の音は誰の耳にも届くに違いない。
僕の下でガラスがじゃりと音をたてる。がん、何かが扉に当たった。それからドアのチャイムが鳴って、彼が出ていった時のままのドアノブが動く。
開けるな!
空気しか漏れない僕の口は音を吐き出すことができなかった。
よろよろと立ち上がり、大きなガラスを避けて玄関へ向かう。
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