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「今だ!」
神官の一人が上げた声を合図に、他の神官たちが一斉に正雄に飛びかかる。正雄はよろめくように最初の一人をかわすと、すれ違いざまにその体勢を崩した神官のふくらはぎを斬り付けた。そのまま横に一回転すると続く二人目の神官の顔に向け勢いよく柄をぶつける。鼻を潰された神官は悲鳴の代わりに鼻血を吹きだし昏倒した。
残った三人の神官たちは、床に倒れた二人が作り出す血だまりから一歩後ずさった。瞬き二つ分ほどの間に繰り広げられた惨劇に戦意を奪われたようだ。
「正雄……笑えねぇ冗談はよせって……」
正雄は弥太郎とかすみに顔を向けた後、再び笑い始めた。
「あははははははっ!」
正雄は弥太郎たちに背を向けると、槍を持ち直し穂先を自分の胸に当てる。
「お、おい! よせっ!」
正雄が廊下を走り出し、弥太郎も慌てて後を追う――が、床で昏倒する神官に足を取られ弥太郎の体は前のめりに泳ぐ。咄嗟に手を伸ばして引き留めようとするが、弥太郎の指先は正雄の着物をかすめただけだった。笑い声を上げる背中が遠ざかっていく。
「……まさ――」
弥太郎が顔面を床に打ち付ける音と、何かが肉を穿つ湿った音が重なった。そして――笑い声が止んだ。
弥太郎は恐る恐る顔を上げる。正雄は廊下の突き当たりの壁に額をすり付けるように立っていた――背中から血に染まる槍を生やして……。
「正雄……」
やるせなさに震える弥太郎の後ろで、媼が小さく息を吐く音が聞こえた。
「……望月様の力が弱まっておる……」
弥太郎はそっと振り返る。目を伏せた媼の胸に顔を埋め、かすみが泣いていた。
「……てやる……は……僕が……」
かすみの押し殺した鳴き声に混じって、深い恨みのこもったような声が弥太郎の鼓膜を振るわせた。ぞっと全身に鳥肌が立つ。
媼の後ろ――先ほどまで交鋏の儀が行われていた部屋で由基が何か呟いているようだった。ひざまづくように四つん這いになり、床を見つめながらボソボソと口を動かしている。
まるで地獄の亡者のような由基の呻き声に、弥太郎は恐怖した。
――ゆっくりと由基が顔を上げる。
垂れた前髪の向こう側から、暗い二つの瞳が呪うように弥太郎を睨んでいた。
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