かすみ

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 辰弥はそっと、「弥太郎」の体を地面に横たえた。弥太郎の胸から背中にかけて、何かで突き刺したような裂傷がある。ナイフで刺したような痕ではないようだ。凶器は恐らくナイフなどよりも、もっと長い刃物だ。  辰弥は視線を祭壇に向けた。木製の祭壇の上には血に汚れた死装束を纏う遺骨が横たわっている。そしてその胸には墓標のように剣が突き立てられていた。  村や社の時間は止まってしまったようだったが、この遺骨――かすみの体だけは時の流れに乗って朽ちていったのだろう。 「……かすみ……」  その遺骨が隠すように握っていた小さな白い花を見つけ、辰弥は震える息を漏らした。儀式の前日、村で弥太郎が摘んだ霞草だ。かすみは命絶えるその瞬間まで、弥太郎のことを思っていたのだろう。  それでも儀式は失敗した。つまり、この剣は弥太郎以外の「誰か」が突き立てたのだろう。そんなことをしそうな人物に心当たりがある。いや、「そいつ」以外に考えられない。  人を小馬鹿にしたような物言い、周囲を見下したような冷たい笑顔、そして誰よりも望月になることを望んでいた野望に燃える暗い瞳……。それらを思い出しながら、辰弥は静かに怒りを燃やす――それが徒になった。 「がっ……」  頭に血が上って警戒を怠っていた辰弥の後頭部を強い衝撃が襲った。わけもわからず辰弥はその場に倒れ込む。  霞んでいく視界の中、悪意の塊のような笑顔で剣に手を伸ばす「ユウキ」と目が合った。
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