今は昔の語りモノ

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今は昔の語りモノ

 丘の向こう側へと去ってゆく夕日が、人も畑も、遠く果ても知れない空まで染めてゆく。  麦の穂をやさしく撫ぜるように走る風。煙突から立ち上る火の香り。  いつもと変わらない、太陽とともに暮す一日が終わろうとしていた。  水車小屋の前に転がる樽に腰掛け、空が眠りに落ちる寸前の姿を見るのが静かな楽しみだった。傍らに丸くなる猫も、暮れかけの光の筋が眩しいのか目を瞬かせている。  農作業を終えた大人たちの背中がなだらかな丘を下る先には、皆で暮す村が待っている。夜の気配を前に、灯りを入れ始めた頃。今夜のスープの中身をあれこれと相談するのが定番だ。  いつの間にか膝に乗り上げ撫でろを催促している猫は、我が家に住み着いた元野良猫のノラである。父が野良と言いつつも餌を与えていたままに馴染んでしまったから。  水車小屋の鍵を閉じ、まだ小さなノラを抱えて畑沿いに踏み固められた道を村へと帰る途中。街道へと続く道から馬車と数人の騎乗した人間がやってくるのが木々の隙間に見える。少し前に通いの商人がやってきたばかりだし、この小さな村に客などそうそう来ない筈なのに。  箱型の馬車の珍しさにじっくり眺めていたが、宿をかねた酒場の前に馬車が停まったのを見て慌てて駆け出す。馬屋の掃除中に抜け出したのがばれてしまう。  宿の女主人、母のお仕置きは夕食事抜き。  隣に住むじいさんによると成長期らしい男児の自分には拷問と等しい。  自分を抱く乱暴な腕にノラが抗議の鳴き声を上げているが、空腹なことには同意らしく大人しく村へと運ばれていった。
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