今は昔の語りモノ

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 気が付けば俺は、ノラを抱いてどことも知れない異国の町に居た。  活気に溢れる屋台通りはどれも見たことがない料理を並べ、売り込みの文句が飛び交う。そこかしこから食欲を誘う匂いが立ち上り、人の波は切れることを知らない。  鮮やかな色合いの建物が立ち並び、広場には水が流れ美しい彫刻が迎え入れる。背の高い城壁の向こうには、白亜の城が街を見下ろすようにその姿を見せていた。  唖然と周囲を見回していると、黙って腕の中にいたノラが飛び出し路地の隙間へと駆けて行く。子猫のノラはいつも途中で捕まえられるのに、今はどれだけ走っても距離が縮まらない。名前を呼んでも、振り返ることなく進んでしまう。  路地の向こうには林が広がり、まばらな木々を透かして潮の風が吹いてくる。波の音がしだいに大きくなり、ひらけた場所へたどり着けば足元は砂浜へと変わっていた。  踏みしめても力の抜けてしまうような感触に足を捕られ、勢いのついたままに転がった。  上も下も分からぬふわふわとした浮遊感に、知らず硬く閉じていた目を開く。  まわりには淡く頭上から差し込む光以外、何もない。青く輝き、不思議な揺らぎの中にまどろんでいると、正面に揺らめく炎が現れる。あんなにも優しく夜を照らした輝きなのに、その痛いほどの熱さに己の体が冷え切っていることが分かった。  口から溢れた息が泡になってどこかへ飛んでいく。体が重く、うまく動かせないのにただひたすら魔法のきらめきが導く方へ泳いでいく。  息苦しくて寝返りを打てば、乗り上げていたらしいノラが目を丸くしながら尻尾を膨らませる。空には欠けた月が昇り、星と共に地上を照らしていた。  森番の守る湖の淵で寝転んでいたようで、湖面には夜空が鏡映しに星を閉じ込めている。  その情景の美しさに息を呑んで眺めていると、水面の上を渡る人影があることに気付く。ノラがその背中へ一鳴きすると、わずかに影を落としていた雲が解け、祭服を纏った語り部の少女がゆっくりと振り向く。  青い瞳と目が合い、星明りの灯るその中へ吸い込まれる感覚が襲う。  瞬間、彼女の唇は何かの音を紡ぎ微笑んだ。  無数の星屑が宵闇を切り裂いて流れてゆく。繋ぎ止めたかったのか、触れてみたかったのか。とっさに腕を伸ばすが、すべては形が朧に崩れ、己の手の向こうに星灯りが瞬くばかりだった。
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