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廊下の突き当たりに、擦れた文字で『院長室』と書かれたプレートと、その真下に焦げ茶色の木製の扉がある。
ここだけ他の部屋と扉の造りが違うのは、別に重厚感を出す為ではない。単に、スタッフや患者が区別しやすいようにという曾祖父の配慮によるものだった。
年季の入ったその扉を控えめにノックして、英司は「失礼します」と前置いてから扉を押し開けた。
ギィッ、と大きく軋んだ音を立てて開いた扉の向こうでは、月村病院の現院長である父がパソコンに向かってキーボードを叩いていた。
部屋に入ってきた英司に気付いて、父は入力の手を止めると、太めのフレームの眼鏡越しに軽く目を細めた。
「昼休みに呼び出してすまないね。食事中だったか?」
何か食べる気分でもなく、結局コーヒーにも口を付けられなかった英司は「いえ」とだけ答える。
「まあ掛けなさい」
窓際にある応接用のソファへ促されて、英司は言われるまま腰を下ろした。院長室だというのに、この部屋の壁にも小さな亀裂や染みがいくつも出来ている。
───いい加減、本格的な改修工事もした方がいいな。
そんなことを考えていた英司の向かいに、父が小さな溜息と共に腰を下ろした。
「明日なんだが……私の代わりに往診に回ってくれないか」
「え?」
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