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苦い笑みを浮かべる父の顔を見て、咄嗟に桜井の顔が脳裏を掠める。
「もしかして、桜井さんですか」
「どうしても明日受診したいと、受付でしきりに訴えられたと聞いてね」
「……すみません。僕の診察で納得して貰えなかった結果です」
「いや、さっきカルテを確認したが、診断に問題はない。私でも、恐らく同じ診断をしたよ」
「それなら、僕の対応が不十分だったんだろうと思います」
落ち着いた声で、英司は答えた。
医者として、悔しい気持ちがないといえば嘘になるが、父の言葉は思いの外冷静に受け止められた。それは恐らく、つい先ほど芳と交わしたやり取りがあったからだ。よりによってあの芳に、思いがけず背中を押されてしまったことの方が、今の英司には悔しかった。
英司の返答を受けて、ソファの背に凭れた父がふと口許を緩めた。
「私がこの病院に来たばかりの頃も、全く同じだったな」
独白のように呟いて、父は昔を懐かしむように目尻を下げる。
「私がまだ『若先生』と呼ばれていた頃、今のお前と同じような状態だったよ」
「……そうなんですか?」
「あの頃は父が『月村先生』で、診察の度に聞かれたものだ。『今日は、月村先生はいらっしゃらないんですか?』と」
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