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今朝、桜井が診察室に入ってきたときのことを思い出して、英司は父の顔を見つめた。この父にも、そんな時期があったなんて初耳だ。そもそも自分の意思で月村病院へ勤務することを選んだ英司は、父から若い頃の話を聞かされたのも初めてだった。
「酷いときは、私の診察の後、『月村先生の診察を受けるまで帰りません!』なんて、延々と待合に居座られたこともあった」
「悔しいと、思わなかったんですか」
「勿論思ったさ。私の診断が誤っていたならともかく、そうではないのに何故自分は受け入れてもらえないのかと悩んだよ。でも考えてみれば、それも当然なんだ」
「当然?」
「この町の人々が求めているのは、自分たちの健康を唯一守ってくれるこの病院と、それを支える医者だ。町にたった一つしかない医療機関を、彼らは曾祖父の代から大事にしてくれている。私も、そんな彼らを守りたいと思っている。ただその思いは、たった一年や二年で届くものじゃない。この町や、そこで暮らす人たちと一緒に年月を経て、『月村先生』は代々信頼されてきたんだ」
「……でも僕は、恐らく院長のような人情味のある医者にはなれません」
いつも通りの淡々とした声で返すと、一瞬目を瞬かせた父は軽く肩を揺らして笑った。
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