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今朝は一刻も早くこの町から立ち去って欲しいと思っていたのに、今は何故か、芳を見失ってはいけない気がする。彼はもしかしたら本当に、一歩踏み出せば二度と戻れない崖っぷちに、追い詰められているのかも知れない。
「そんなに寝た気しないんだけど、もう英ちゃんの散歩の時間?」
「まだ夜の十時だよ」
「え、そんな時間にも散歩してんの?」
「さすがにそこまで散歩好きじゃない。それより、今夜は雨だから野宿には向いてないと思うけど」
「あー、そう言えば曇ってんなー。でも一応ここ軒下だし、どうにかなるっしょ」
灯りがない所為で、地上より明るく見える曇天を見上げて、芳は呑気な声を出す。ほんの少し英司が触れただけで飛び起きたことが、嘘だったみたいに。
「牧野さん、低体温症って知ってる?」
「聞いたことはある」
「じゃあそれが命に係わるってことは?」
「……ひょっとして、俺のこと心配して来てくれたの? しかも寝込み襲われちゃったし、もしかして俺愛されてる?」
「この町から身元不明の凍死体が出たなんてニュースになるのは御免だから、せめて県境の山にでも捨てに行こうかと思っただけだよ」
「さすがに山の中はやめて!? ゴメン、ふざけ過ぎました」
英司に向かって正座した芳が、深々と頭を下げる。その拍子に髪の隙間からまた項の傷がチラリと覗いて、チリ…と胸を掠める苛立ちに眉を顰める。
見ているだけで苛立つくらいなら、いっそ関わらなければいい。
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