第三話

14/22
前へ
/233ページ
次へ
 ベンチに腰掛けたまま声を掛けると、こちらに気付いた英里が「丁度良かった」と往診バッグ片手に歩み寄ってきた。ベンチの隅にバッグを下ろし、自販機でミルク入りの微糖コーヒーを買ってから、英里は英司の隣に腰を下ろした。 「さっき往診に行った先で、『あの子』に出くわしたよ」  姉の言葉に、缶を傾けかけた手が止まる。 『あの子』というのが誰のことを指すのかなんて、聞くまでもない。  芳がこの町にやって来て二週間。  初日から既に商店街の人たちに溶け込んでいた芳の存在は、派手な容姿の所為もあってか、今ではすっかり町中に知れ渡っていた。  三十才の男を『あの子』などと呼ぶのは如何なものかと思うのだが、高齢者の多いこの町では英司や芳なんてまだまだ若造扱いだ。お陰で芳は町の人たちから『どこからかやって来た子』だとか、『あの金髪の子』なんて言われている。  芳をあの小屋へ連れて行って以来、英司はこれまで二度、様子見に訪れている。  最初は、野宿せずに小屋で寝起きしているかどうかを確かめる為。  そして二度目は、ちゃんと取引に応じて小屋の中を掃除しているかを確かめる為だった。  その際、芳とは少しの間話もしたが、その内容は本当に他愛もないことだった。  初日に気に入られてから、日中は三井青果店を手伝っていること。  そこで町を探索してみたいと言ったら、ついでに配達を任されるようになり、自由に使って良いと自転車を貸し与えて貰えたこと。     
/233ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2658人が本棚に入れています
本棚に追加