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英司は医者で、目の前には苦しんで横たわる芳の姿がある。それなのに、英司には苦しむ芳に触れることすら出来ない。
見えない鎖に縛られた芳を、解放してやることも出来ない。
汚れるのも構わず、芳が地面を掻き毟りながら身悶える。そんな芳を捕らえて離さない、項の傷痕。
この時ようやく、英司は自覚した。腹の奧から込み上げてくる、溶けた金属のように熱くて重い感情が、激しい嫉妬心であるということを。
「………っ」
二十九年生きてきて、初めて零した舌打ちと共に立ち上がる。
これまで、芳の内側へ踏み込むことを躊躇っていた理由。それは、自分が決して芳のパートナーに敵わないことがわかっていたからだ。
芳が発情すれば、その事実を嫌というほど突きつけられてしまうから。英司では駄目なのだと、思い知らされてしまうから。
そしてきっと、芳もそれをわかっていた。
だからこそ、互いに本心を隠し続けてきた。
「……牧野さん。すぐに戻るから、ここで待ってて」
触れられない代わりに、せめて着ていたジャケットを芳の身体にかける。そのまま身を翻して車に飛び乗り、英司は病院までの道のりを急いだ。───ようやく気付いた感情を、失くさない為に。
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