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第五話
◆◆◆◆
「───もういいよ」
浅い呼吸の合間、電車を降りて神社へ辿り着くまでの経緯を話そうとする芳の言葉を、英司はひりつく喉から絞り出した声で制した。
耳を塞いではならないと思ったし、職業柄平静を保つのは得意だと自負していたが、それでもこれ以上、芳の口から話させたくはなかった。
飄々としている芳が、その内側に隠していた深すぎる傷口。その傷は、医大生の頃から数えきれないほど見てきたどんな傷よりも、痛々しく思えた。
もう充分だと目の前の細い身体を抱き締めたいのに、英司は発情した芳にこれ以上近付くことすら叶わない。
腹の奧から、やり場のない怒りと悔しさが止めどなく溢れてくる。
芳のパートナーの藤原という男が、英司とは何の繋がりもない赤の他人でまだ良かった。もしも知っていれば、ジッとしている自信がない。柄にもなく乗り込んで行って、なりふり構わず手を上げてしまいそうだった。
Ωが社会の中で立場が弱いということは周知の事だ。定職に就けず、芳のように身体を売って生活しているΩは、決して珍しくない。
そんなことは、学生の頃から知っていた。……いや、知っている『つもり』だった。
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