鬼哭《きこく》

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 戦時中には,うちの近所の防空壕跡にも近くに住む住民たちが逃げ隠れたらしいが,そのほとんどが空爆によって命を落としたと聞いている。死んだ祖父母もこの防空壕に入ったことがあったそうだが,随分と早いうちにさらに山奥の集落へと疎開し空爆を免れていたため,詳しいことはなにも知らないと言っていた。  小学生のころに地元の歴史を学ぶ授業で習ったのだが,当時この防空壕の近くには小川が流れていて,近所の住民にとっては貴重な生活用水だった。しかし戦争が始まると水が濁るようになり,多くの死体も流れたため生活用水としては機能しなくなった。  さらに戦争が激しくなると,地主の発案で丘を削り横穴を掘って,近所の六家族,主に老人と子供約三十人が入れるくらいの防空壕を掘った。  当時,健康な男子は戦争に行ってしまったので,比較的体力のある年寄りや女たちが(くわ)などの農機具で掘ったため,まるで動物の巣穴のような小さな入口になった。  気休め程度でしかない奥行十五メートルほどの横穴だったが,実際に空爆を経験すると,皆,防空壕を掘ったことで安心感を得ていた。  それ以来,警報が鳴る度に近所の住民がお互いの手をひいて防空壕へ逃げ込んだ。
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