カモミールとリンゴ

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「日高さん」  凛とした声が俺の耳に響いた。時刻は18時半ごろ、あの子が席を立つ時間。 「馨さんが言いそびれたこと、あと一つあります」  会計を終えたココネさんが先輩の席の前で立ち止まる。リンゴを食べる手を止めて、目を丸くして先輩はココネさんを見つめた。 「リンゴの花言葉って、『最も美しい人へ』って意味らしいですよ」  ココネさんが俺を見て、にやりと笑う。やられた、聞いてたのかと焦る俺をよそに、彼女は髪をなびかせていつものようにカランコロンと店を出て行く。 「あ、ちょっと」  言い逃げかよ、と俺はこめかみを手で抑えた。横では先輩がリンゴと俺を見比べている。恐る恐る彼女の様子を伺うと、彼女はしばらく俺の目を見たのち、ふふふと笑い出した。 「……何か文句あります?」  わざと俺はつっけんどんに聞く。そうでもしないと体裁が保てない。何だか気恥ずかしすぎる。 「ううん、なーんにも。……ありがとね」  かすかな笑みの余韻を残して、先輩はリンゴのコンポートにまたフォークを突き刺した。
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