パンとクローバー

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パンとクローバー

「わーーーーー!!」  大学の講義を終え、今日もカフェ・メープルで穏やかなバイト時間を過ごす俺の耳に突然、厨房の方から観月さんの声が飛び込んできた。声とともに、オーブンの蓋を慌てて開ける音がする。店内を改めて見回すと、店にいる3人の客は全く騒動に気づいていない。60代後半くらいの白髪の男性はコーヒー片手に本を読み続けているし、友人同士で来ていると思われる主婦二人は紅茶を飲みながら会話に夢中だ。俺はほっと息を吐く。  飲み物類はカウンターで基本作るが、焼いたり炒めたり、そうした過程が必要なご飯類は奥の厨房で作業をする。どうやらオーブントースターで失敗してしまったらしく、やたら香ばしい匂いが漂ってきた。 「観月さん、どうしたんですか」  声をかけると、観月さんがポニーテールを揺らしながら慌てて奥の厨房から顔だけのぞかせる。 「スープ用のスライスパン、焼きすぎた……」  やってしまった、という顔をしながら彼女がため息をついた。 スープ用のスライスパンは薄切りにして焼く。オーブンをよく見ていないと焦がしてしまうのだ。 「バターは塗ってありました?」 「そりゃ、塗ってあるけど」 「この器に入れてください」  何をするんだこの子は、みたいな表情で観月さんが大人しく俺が差し出したスープ皿に黒い焦げができてしまったパンをそっと置いた。このくらいならいけるだろう、と俺は当たりをつける。
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