パンとクローバー

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 丸文字かと思いきや、右肩にやや上がり気味の達筆な文字をさらさらと彼女は書く。  『虞美人草(ぐびじんそう)』。  それが、彼女の書いた文字だった。 「これ、花の名前ですか?」 「ひなげしのことですね」 「ひなげし?」  どうもいまいちピンと来ないらしく、彼女は目を丸くして眉をひそめた。もう少し砕けた呼び名だったら分かるだろうか、と考えて俺は別の呼び名を言ってみる。 「英語名でポピー、フランス語だとコクリコとも呼ばれているはずです」 「あ、それなら聞いたことあります」  彼女はB5のノートに『ひなげし、ポピー、コクリコ』とわざわざメモをする。その目は真剣そのもので、そんなことはネットで検索をかければ分かるのだからわざわざメモしなくても、と言いかけた言葉を俺は飲み込んだ。彼女にとってはどうやら大事なことらしい。 「ところで、どうしたんですか急に」  いつもなら彼女から話しかけたりなんてしてこないのに。俺の質問に、彼女はそっと目線を巡らせ、コーヒーを片手に本を読んでいたお爺さんの座るソファーをそっとシャープペンシルで示した。
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