パンとクローバー

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 返してくれたエプロンのお礼を言うと、彼女の視線はゆらゆらと揺れ始めた。 「エプロン……?」  そして俺の方を再度見上げて、はっと目を見開きながら俺を指さした。 「あ、石蕗さん」  ……今まで誰と喋ってるつもりだったんだ。 「返してくれたろ、さっき」 「……ああ、はい」  何となく歯切れが悪い。それに俺のことを名字で呼ぶなんて、と少し距離感を感じて寂しくなる。いつもは下の名前で呼ばれるのに。  寂しいって、なんだ俺。 「馨くん馨くん」  後ろから観月さんがちょいちょいと俺の背中をつつく。 「どうしました」 「お客さんこれから来るわ。今日のメニューは、クロックムッシュでよろしくね」  クロックムッシュ。そのワードに、俺はこの前のお爺さんを思い出す。 「もしかして」 「そ。奥さん、無事退院できたそうよ」
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