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家出の理由は聞かない。話したければ話してくれても良いし、別にどっちでも構わない。 私は毎日絵を描くだけの生活だし、大体隣の部屋に籠もってるから、後は好きに使ってくれていい。二階にもう一部屋あるので寝室としての利用は可。外出する際は申し出ること。
文さんからの伝達事項はそれだけだった。その言葉通り、画家である文さんは食事とト イレ以外は全く画室から出てこず、僕はずっと文さんの蔵書を読んで過ごしていた。
食事中、たまたまテレビを点けていたことがある。国営のニュース番組で、取りとめも なく観ていただけだったが、ふと興味をひかれたものがあった。強盗事件や誘拐事件の報 道の後に流れた、女性が自宅で殺害された事件で、同居していた姪が行方不明だという。 テロップまでは見たが、文さんが「暗いニュースばっかりで気が滅入るわ」とテレビを消 してしまった。
境遇が似ているな、と感じた。姪はどこに行ってしまったのだろうか、犯人に連れ去ら れたのか、それとも叔母憎さで罪を犯して逃亡しているのか。
どちらにしろ、彼女の未来は暗いのだ。
「真、明日屋外スケッチに行くんだけど、一緒に来る?」
物思いにふけっていると、不意にそう尋ねられた。肯定の返事をすると、文さんは明日 の朝十時ね、と告げて部屋に戻って行った。
翌朝は一層冷え込んで、完全防備でも足元から冷気が忍び寄ってきた。公園のベンチで 、裸に雪を被ったポプラの並木をスケッチする文さんを横目に見る。
「何でこんな寒い日にスケッチするの?」
うんざりした口調になってしまう。
「文句言わないでよね。来るっつったのはあんたなんだから」
「だって家にいても暇だし……せめて昼頃にしようよ」
「駄目、雪がとける。大人しく黙ってなさい」
鼻を真っ赤にさせて鉛筆を走らせる文さんに溜め息をつき、今にも泣きだしそうに白く 濁った空を見上げる。と、文さんが激しくせき込んだ。
「大丈夫なの? 最近ずっと調子悪そうだけど……」
「へーきへーき。持病でね、時々発作みたいなのが来るの」
すぐに文さんはスケッチに戻る。しばらくぼーっとしていると、文さんの声が沈黙を破 った。
「これは提案なんだけど」
文さんの大きな瞳が僕を見つめていた。凍ったように瞬きをしない。
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