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柳瀬は扉の前へ立ち、髪を整え、ふーっと深呼吸をする。
腕に抱えた未完成のスーツに視線をおろし、よし、と気合いを入れて、柳瀬は扉を開けた。
そこは伊与田が昔使っていた作業場で、今は柳瀬が使っている。
アンティーク調で落ち着いた空間。壁に設えられた棚には生地や糸、ボタンなどの素材が収納されている。
そしてここでも数体のトルソーたちが、柳瀬を迎え入れた。
「ただいま」
柳瀬はその中の一体に優しく微笑みかける。
柳瀬は作業机のすぐそばに置いた一体のトルソーの前へ立ち、腕に抱えていたジャケットを着せていく。
仮縫いの糸やまち針が目立つ未完成なスーツでも、不思議と彼には似合っていた。
「遅くなって申し訳ありません。伝票をまとめていたら、こんな時間になってしまいました。このスーツ、伊与田さんには来週中に仕上げるように言われたのです。仮縫いをしてきたので、身体に合わさせてください」
柳瀬は一度作業台に未完成のスーツを置き、必要な道具を揃える。
針や糸、メジャー、サイズを記録するためのペンや紙など、必要なものはすべて手近に配置した。
「さあ始めましょう。お身体に、触らせていただきます」
失礼します、と断りを入れ、柳瀬はトルソーにジャケットを羽織らせる。
首から背骨、腰を一直線に繋ぐラインを中心に、皺が寄らないように万全の注意をして。
肩の位置を微調整しながら、柳瀬はトルソーに語りかけた。
「店を出る前、伊与田さんが僕に言ったのです。あなたのためのスーツを作り終えたら、今度は伊与田さんの身体を借りて、彼のためのスーツを作るように、と。それは新たな課題だそうです。ずいぶんと長い間、僕は人を測っていないので、うまく採寸できるかどうか。伊与田さんの気に入るスーツが作れるのかどうか、僕はとても不安です。僕は伊与田さんを尊敬していますが、時々彼の考えがわからなくなるのです。伊与田さんは僕を試しているのでしょうか。――襟の幅、もう少し広げたほうがあなたにお似合いだと思います」
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