塩ココアとサラリーマン

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「あれ、今日用事があるんだよね、まだ出かけないの?」 と彼女は時計を不満げに見上げ、だからデートの日をずらしたのにと口を尖らせる。 そうだ、そうだったとぼくは慌てて立ち上がる。時計の針がよく見えないが、急げば間に合うような、そんな気がする。「また夜来るから」と頭を軽く撫でてからぼくは足早に部屋を出て行った。 夢中で走っていたのかぼくは気付くと駅にいて、切符を買おうとしている。けれどお金を入れる穴の場所も、どのボタンを押すべきなのかもわからない。冷たい汗が湧いてきて出鱈目に機械をベタベタ触り続けていると、髪の毛の薄いスーツ姿の男がどたどたと現れ全行程を素早く終えるとぼくにクリーム色の切符を押しつけるように差し出した。 「あ、ありがとうございます」 颯爽と立ち去って行く丸い背中に慌てて声をかけると、彼は振り返り不思議そうにぼくを見つめる。 「いえ、今日は私の番でしたから。ではすみません」 か細い声でそう早口に言い終わると、四角い鞄を両手で抱きかかえ、彼は雑踏の中へ足早に消えて行った。 そうだった今日はあの人の番だった。だから自分では切符が買えなかったのだとぼくはようやく気づき、改札機の隙間に切符をねじ込んだ。
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