禰宜

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禰宜

「明くる朝になって村の者が与作の家の中を覗くと、そこには女の死体と坊主の死体が折り重なるようにして倒れておったそうです。他にはもちろん首のない与作の死体やら腕のもげた母親の死体やらバラバラになった父親の死体やらがあったと思うのですが、詳しいことまでは伝承に残っておりませんな。まあ、後世の者にとってはあまり詳しくないほうが都合が良いのですけどね」 私は思わずさっき飲み込んだばかりのものを戻しかけた。どうしてこのおっさんはわざわざ伝承に書かれていない部分までご丁寧に描写するのか。 しかも明らかに食事中にするような話ではない。この人はそれを知っていて私を食事に誘ったのであろうか? 「しかし、凄い話になってきましたね。それでその後どうなったのですか?」私は気を取直して続きを促した。まだ恐怖心よりも好奇心が優っている。 「そこなんです。奇妙だったのは、折り重なった坊主と嫁の死体に隠れるようにして、一人の赤ん坊がスヤスヤと眠っていたのです。それも坊主が持っていた数珠をその手にしっかりと握っていました。嫁のお腹はすっかり萎んでいたそうです」 新しい展開になってきた。人外のものから子供が誕生する話は世界各地にある。 「この話がこの辺り一帯を治めていたお殿様の耳に入りました。お殿様はこれは奇妙であるということで、京都から高名な神主を呼んできてお社を建てて祀ることにしたそうです。彼等の霊を鎮めるために。それがこの蟷螂神社の由来です」 禰宜はこれで話は終わったとばかりにお茶を啜り、私を見た。私は「ほおぅ、そうなんですかぁ」という表情を浮かべて見せたが、まだ疑問点はある。 「それで、ということはこの神社はカマキリを祀っているのですか?」 彼等の霊を鎮めるというからには、その中には与作の嫁に憑いていたカマキリも入っているのではないのか? 「まあ、その辺りは日本人は何でも一緒くたにする傾向がありますから。理屈でいけば坊さんも一緒に祀られていることになります。神社なのに仏が祀られている訳です。ただ、この辺りの人たちはここのご本尊さまのことを蟷螂さまとお呼びして親しんでおられますので、私どもも本尊は何かと聞かれたら蟷螂さまですよ答えるようにしております」 「と、蟷螂さまですか」 如何にも日本人らしい話だ。しかし疑問はそれだけではない。 「赤ん坊はどうなったのですか?おそらく与作の子供であるはずの」 「詳しい話は伝わっておらんのですが、すぐに死んだともそのとき京都からやってきた神主が引き取って育てたとも言われております。その神主というのがこの神社の初代禰宜になりましたので、育てられたということであれば後を継いだのでしょう。この家の先祖ということになります」 「えっ??ということは」 「この家の者はカマキリの血を引いているということになりますね」 ずっと黙って話を聞いていた奥さんが急に口を開いたものだから、私はひどく驚いてしまった。 「私は入り婿でしてね」 と禰宜が言った。 そうだったのか。ということはカマキリの血を引いているのは奥さんの方か。だから奥さんの方がでかいのだ。 「結婚する前は私の方が太っておったのですけど、嫁に喰われてこんなに萎んでしまいましたなんて冗談を言っておりますよ」 禰宜は私の胸の内を見透かしたようなことを言い、自分の冗談に対して自分で笑った。 「ひどいでしょ、この人。あらやだ。そんな怖い顔なさらないでください。この体格は先祖代々の遺伝なんです。母もほらこの通り立派な体格をしているでしょ。いつもからかうんですよ、この人。ちゃんと言っときますけど、出会った頃から私の方が主人より大きかったですから」 と奥さんが補足した。 それより私はどんな顔をしていたのだろう。さっきの話は作り話だ。人間がカマキリの血を引くわけないじゃないか。 それよりこのご主人は母親に似た女性を好きになったわけではなかったのだ。この人はこの人で独自のルートから体格のいい女性を好きになったのだ。私の仮説は脆くも崩れ去った。 「すいません。さっきの話が強烈だったものですから。変な顔してしまったかもしれません。それより貴重なお話を聞かせていただきました。昆虫食に通じるところもあれば、日本各地に伝わる異種婚に繋がる部分もある。大変有意義な時間を過ごせました」 私はそそくさとお礼を言った。この家族も興味深いが、あまり長居してもいかんだろう。 私は丁重にお礼を言って、そろそろホテルに帰りますということを伝えた。 「そうだ、これを持っていってください。我々も蟷螂神社のことが広く世の中に伝わることを願っているのです。あなたの研究にお役に立てれば幸いです」 そう言って禰宜がお土産に持たせてくれたのは、予想通りタッパーに詰められたイナゴの佃煮であった。あまり嬉しくはないが、日持ちはするだろう。
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