「美しい」

2/3
12人が本棚に入れています
本棚に追加
/65ページ
18.10.21 かなり前に、文章術の本で読んだのかなんだったか、三人称の小説では「美しい」のような表現は使ってはいけない、みたいなことを小説家が語っていた記憶がある。 「美しい」は誰かの感想であり結論である。「美しい」と結論すべきは読者なのだから、作者がそう書いてはいけない。作者は、その対象が客観的にどうなのかを描写するだけだ――みたいな内容だったと解釈している。 最近、それは違うな、と思うようになった。 たとえば作者が読者に「それは美しい顔だ」と思ってほしい対象があるとする。 それを「美しい」という表現を抜きに「目は切れ長で、鼻は高く、唇は薄い」とか書いても、どっちだかわからないだろう。 個人的には「高い鼻」はあまりいいと思わないし、「目はぱっちり二重でふっくらした唇」でなければ美しいと思えない、という人もいるはず。 体形に至っては「スレンダー」「健康的」「筋肉質」「豊満」のどれが好ましいかは人それぞれだ。 「美しさ」こそ定義の曖昧なものなのだから、作者にとって「美しい」ものは、そう書くしか伝わりようがないのでは?  読者と意見が異なりそうなら、なおのこと。 描写の仕方が違うのだろうか。 顔形を形容するのではなく、「ナオミが振り返った瞬間、ジョージは思わず息を飲んだ。カラヴァッジョが描くロレートの聖母よりも気高く、マグダラのマリアよりも色っぽく、聖カタリナよりもどこか気の強そうなその顔つきは、それまで会った女性たちとは別格の印象を彼に与えた」とか?  もっと簡単に「彼女とすれ違う人は男女問わず催眠術にでもかかったように振り返った」とか? それは「美しさ」の描写ではなく、「見る人が彼女を美しいと感じた」ことの描写だけれど。
/65ページ

最初のコメントを投稿しよう!