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すると、おばあさんが俺の隣にやって来て、深呼吸をした後で泉の中を覗き込んだ。
俺はチラリとおばあさんの前の水面を覗き見たが、何も映っていなかった。
だが、おばあさんは何かが見えたのか、突然体を起こしたじろいだ。
「大丈夫ですか? 何か見えましたか」
俺がそう尋ねると、おばあさんは少し動揺した様子で頷いた。
おばあさんの話では、泉に自分の顔が映った後、水面に自分が若い頃に住んでいた町が浮かび上がった。
すると、耳元で戦闘機が近づいてくる音が聞こえ、焼夷弾が落ちる音と共に悲鳴が聞こえたそうだ。
それはおばあさんが経験をした戦争の時の記憶で、空襲警報が鳴り響く中で防空壕に向かって走った記憶を思い出したという。
「戦争の頃の記憶なんて、思い出したくもねぇだろうな」
おっさんはおばあさんの事を不憫そうに見つめた。
「この泉は、つらい記憶しか見られないのかしら」
おばあさんがそう尋ねると、おっさんはそうとは限らないと言った。
人生の中で、強く印象に残った記憶。
それが走馬灯の泉で見ることの出来る記憶だと。
おばあさんは戦争の頃の記憶は全てが嫌なものではなく、その記憶がどうしても見たいのだと言った。
それでも空襲を思い出すと恐ろしく、今でも川を埋め尽くす遺体の光景が目に浮かぶという。
おばあさんは怖くないように、俺に手を握っていて欲しいと言った。
俺は少し恥ずかしかったが、おばあさんの望み通り手を握った。
「ありがとう」
おばあさんは微笑み、また走馬灯の泉を覗き込んだ。
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