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あ、覚えがある。
「筒良錫匁さん」
この名前。
「はい」
僕がその名を呼ぶと、小鳥のような声が返ってきた。
名簿から一瞬だけ目を上げさっと受講生を見渡したが、その声がどこから聞こえたのかわからなかった。名簿に目を戻し、続きの名前を一つずつ読み上げる。呼ばれた学生が返事をする。自分の平坦な声がマイクを通して講義室に響く。
出欠を取ったあとは授業終わりまで、ティーチング・アシスタントとしての仕事はほぼない。受講している学部一年生と一緒に、スクリーンに映し出されたスライドとその説明をする羽留子を見る。スライドは前任の教授が作ったものよりはるかにわかりやすく整理されており、教授の強い偏見が入っていた部分もマイルドな表現になっている。しかし、仄暗い講義室で説明を聞いているとやはり大抵の者は眠くなってくるらしく、授業時間の半分くらいが過ぎると、どこからともなく寝息が聞こえてくる。
僕はスライドを見ながらぼんやりと、先程呼んだ名前のことを考えた。前にもこの名前を呼んだことがあるはずだ。どこでだったろう、去年のこの講義だったか、それとも……。
淡々とした九十分が終わり、講義室の照明を上げる。バラバラと立ち上がる受講生から、授業についてのメモや感想、質問などを書かせたプリントを受け取る。
「じゃあ、このあとは庄司君に任せていいかな」
手持ち資料を整理した羽留子が僕に言う。
「はい、先生」
僕が答えると羽留子は軽く頷いて颯爽と講義室を出て行った。僕の残りの仕事は、まだプリントを書き終えていない学生を待ち、たまに質問を受けたら対応し、講義室を閉めて鍵とプロジェクターを学務に返却しに行くことと、提出されたプリントを学生番号順に並べて羽留子に提出すること。
お願いします。お願いしまーす。何をお願いするんだか自覚してんだかしてないんだかわからない一様の声を出しながら、受講生達は次々とプリントを渡してくる。僕は、はいお疲れ様、と、よく寝てむしろピンピンしている彼等へゼンマイ仕掛けの人形みたいに反射で返す。
「庄司先生、お願いします。時間掛かってしまってすみません」
ふいに名前を呼ばれて顔を上げた。女子学生が両手でプリントを差し出している。
「先生じゃないよ、僕は院生だから、ただの先輩。お疲れ様」
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