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ランカスター子爵が命令を下すよりも早く、拳闘家のパンチがタウの腹を貫いていた。タウが思わず前屈みになったところで、強烈な左フックが刑事の顔にヒットした。大理石が敷き詰められた子爵邸のロータリーに、血泡の混じった唾液が飛び散る。黒猫はさらにパンチを浴びせようと、仰向けに倒れたタウに馬乗りになった。
「い、いい加減にしろ!」
ヘイデン刑事が短銃を構えて叫んだ。その狙いは拳闘家の黒猫につけられている。若い刑事の手は興奮のあまりに震えているが、三メートルも離れていない至近距離なので外れることはないだろう。黒猫は睨みを利かせたが、やむなくタウの体から離れた。
「こ、公務執行妨害罪だぞ。いくら貴族様の屋敷内だからって、これはうやむやにできない。逮捕どころか、ここで撃つこともできるんだぞ……」
ヘイデン刑事の目は血走り、指は今にも短銃の引き金を引こうとしていた。しかしそれを押し留めたのは、右目の上を切って、タラタラと血を流しているタウ本人だった。
「止めろ。騒ぎが大きくなれば、捜査ができなくなる」
タウ・ブッチーニ刑事は、よろめきながら立ち上がった。そしてヘイデン刑事に肩を借りると、ランカスター子爵に向かって山高帽を持ち上げて見せた。
「おかげで聞きたいことは、聞かなくても全てわかりましたよ。我々はちゃんと裏を取ってから、ここへお邪魔しています。目撃情報もあるし、やはりリチャード様はこの屋敷にいらっしゃるようだ。近いうちに、またお邪魔することにしますよ。次は女王陛下の名のもとに、きっちり書類を整えてきます。貴族様のお屋敷でも踏み込めるようにね。その時は……。言わなくてもおわかりでしょうな」
タウ・ブッチーニ刑事は相手に脅しをかけると、クルリと踵を返した。最後通告を突きつけられたランカスター子爵は、両眼を大きく見開き、神経質に白銀の口ひげをピリピリと動かした。
タウは、かろうじて腫れていない方の左目でヘイデン刑事にウィンクをすると、よれた紙巻煙草を口に咥えた。
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