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両者の間に、重苦しい沈黙の時間が流れた。
「すでに役所は書類を受理しています。そして殿下が受け入れてくださらない限り、リチャード様のご遺体は、永遠に身元不明のままです。ですが、本当にそれでよろしいので?」
「頼む。どうかこの通りじゃ。ランカスター家から犯罪者を出すわけにはいかぬ。でなければ他家から跡継ぎが来てくれん。家名を絶やすわけにはいかんのじゃ」
ランカスター子爵は、トップハットを脱いで深々と頭を下げた。そこには貴族の威厳はなく、年老いた銀猫の姿があるのみだ。タウ・ブッチーニ刑事は眉間に深いしわを寄せると、天を仰いで深いため息をついた。
「わたしのような庶民には、とうてい理解できませんがね……。しかし警察には、殿下の言い分を覆せる証拠がない。殿下がそのおつもりならば、それまでです」
「恩に着る。どうか呑み込んでくれ。それが貴族という生き方なのじゃ」
ランカスター子爵は、再び頭を下げた。タウ・ブッチーニ刑事はコートのポケットを探ると、クシャクシャになった煙草の箱を取り出した。しかし箱の中は空っぽで、大事に取っておいた最後の一本がない。何度も出し入れするうちに、どこかへ落としてしまったのだろう。
刑事は下唇を噛み締めると、子爵に背を向けて歩き出した。
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