10 マリーベルには、トニヤの知らない秘密がある

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 ダーオ・ブッチーニとロレダーノ伯爵夫人を引き合わせた日の夜、トニヤは花市場近くにあるカトー食堂で魚料理をたいらげると、鼻歌交じりに自分のアパートに戻って来た。  ロウソクに灯りを点すと、モスグリーンの壁紙に、部屋中に散乱したキャンバスや壊れかけたイーゼルの影が浮かび上がった。  トニヤはキッチンでお湯を沸かすと、インスタントコーヒーの瓶をシェーカーのように振った。湿気で瓶にこびり付いたコーヒー粉末を、何とかマグカップに落とそうと試みたのだ。しかしそれがどうにもならないとわかると、画家は不満げに舌打ちを一つして、瓶に直接お湯を注いだ。 「マリー、今日はとってもいい日だったよ」  トニヤは食卓の椅子に腰かけると、棚の上に鎮座しているフランス人形に声をかけた。 「タウの娘のダーオだが、アネッサが後見人になってくれることになったよ。おかげで寄宿学校だけじゃなく、大学にだって行けそうだ。アネッサが言うように、あの子は本当に『星』だね。花街の女たちにだけじゃなくって、僕やタウにとっても希望の星だ。あの子は本当に、真っ直ぐな力で王都を変えてくれそうだよ」  トニヤは満足げに独り言を言うと、コーヒー瓶を祝杯のように掲げ上げた。 「ダーオはまるで蒸気機関車だ。真っ直ぐに目標に向かって走っている。僕は、そんなあの子の姿を見ていて思ったんだ。あの子が将来の王都を作るのなら、僕はその障害になる連中をどうにかしなくちゃいけない、とね。お前や、ロブ・ブッチーニを殺した奴ら。そしてダーオの母親を殺した宗教。これを何とかしなくちゃいけない。もう二度と関わりたくないと、これまでずっと顔を背けて来たけれど、それじゃいけないと気づいたんだ。もうこれ以上逃げちゃいけない……ってね」
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