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第一章 図書館塔には紅き死神が住む
一
父―というものの存在は、彼にとっては遠い記憶の残滓に過ぎなかった。その残滓すら、あるのは父の背中だけである。
父―という存在をかろうじて認識しているのは、その背中の映像のみである。
母―は、父の悪口を言わなかった。ただ一言をのぞいては。
「女と出て行ったのよ」
母のこの一言は、辛辣に彼の胸に残った。たったこの一言が、あれから十年以上が経つのに、未だに父の記憶より、鮮明に残っている。
母は、死んだ。
優しかった母は、病に倒れた。最期の母は、痛い顔も、具合の悪い顔もしなかった。
彼は、横たわる母の手を握り続けた。
時は十九世紀末―。
スカンディナビア半島の南東部に位置する、大小二十カ国に及ぶ小国家郡。名をヴィクトール国といい、現在の統治者で十二人目を数える。
万世一系。アレクシス・ヴィクトールから凡そ、五百年続く、ヴィクトール王朝。
はじまりは十四世紀、北欧一帯を駆けた三十年戦争の折に、大いなる活躍をした、アレクシス。彼は自国の民を救い、自らの国を定めた。
「我が血筋を引きし者共よ、我と共に」
アレクシスは国の制定を高らかに、こう宣言した。
そうして五百年。ヨナ・ヴィクトールの時代である。
二十カ国のひとつ、スカンディナビア山脈を背景に、周りを森林に囲まれた、イヴレイと言う街がある。悠然と構えられたその街は、先の大戦においても、痛手を殆ど受けることなく、確りとした存在感を維持した。
そのために、歴史的に古い建物が残り、反面ヴィクトール国中で、もっとも華やかで、煌びやか、富貴の集まる街として知られた存在になった。
まさに栄耀栄華を極めた街、それがイヴレイである。
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