0人が本棚に入れています
本棚に追加
夢に輪郭があるのは、その夢を見ている時だけである。一度目が覚めると、途端にその輪郭は失われ、漠然とした色彩だけが残る。起きてすぐに、なんとか今見たばかりの夢を紡ごうと必死になるのだが、夢は透明な空気となって頭から抜けてゆく。どんなにあがいても、出口を塞ぐために頭をフル回転して思い出そうとしても、夢はその隙間からどんどん抜けてゆく。そして朝ごはんの時にはもう、夢は私の記憶から消え失せている。
昔は断片的に思い出すことができた。でも最近は、それができない。前に、人間は生まれてから死ぬまで常に医学的な面で衰え続けるのだと本で読んだことがある。私もこうして、日々衰えてゆくのだろうか。
今日は夢の色彩さえ残らないほどの深い眠りだった。朝日を顔に受け、うっすらと目を開ける。妙な違和感。こんな感じだっけ? 自分の部屋のベッドにこびりついた、あの醤油の香りがしてこない。代わりに薄い消毒液の臭いが淡々と私の鼻を包んだ。
「えっ・・・・・と?」
重い頭を瞼の疲れに反して持ち上げる。自分を照らしていた木漏れ日は、上の方で当たり前のように空いていた小窓から差し込んでいた。小鳥の甲高いさえずりが私の心に優しく纏わりつき、風に乗ってやってきた潮の香りが、私の不安を少しだけ収めてくれる。
「おはよう、西本」
私が寝ていたベッドの脇で、文庫本片手に私を見つめ返す彼。名前が思い出せない。
「あの、ここって・・・・・」
「病院だよ」
彼は多くを語らない。思い出してきた。顔と性格、そして彼の膝の上にある文庫本。
「その本って・・・・・」
「これは『1リットルの涙』」
やっぱりだ。彼は『1リットルの涙』をいつも持ち歩いている。そこまで分かるのに、やっぱり名前が出てこない。これも記憶力の衰えなのだろう。というか、私はさっきから何か大事なことを忘れている気がする。
「足、大丈夫?」
最初のコメントを投稿しよう!