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田舎の家々は鍵を掛けていないどころか、縁側の雨戸もガラス戸も開け放しだ。
舅は子どものように近隣の家に上がり込み、菓子や冷蔵庫内の物を食べ、手当たり次第散らかして迷惑をかけた。詫びて掃除して弁償の話し合いをしているうちに、川にはまって大騒ぎした。
芙侑が仕事で行けないときは、妻の姑が後始末に出かけた。目を離した隙に自宅のガラスを割り、舅本人が血みどろになったこともある。救急車を要請して、病院に担ぎ込まれていた。
姑が心神耗弱で寝込んでしまった。
芙侑は仕方なく、舅を農機具小屋の小部屋に閉じ込めた。西隣の家どころか三軒離れた家にまで、「馬鹿野郎」「ぶっ殺すぞ」「死んじまえ」「酒はまだか」「何か食わせろ」「旅行鞄と切符をどこへやった」舅のわめき声が響いていた。
隣同士がくっついて建っている街中と違い、田舎の家の敷地は広い。三軒離れていても明瞭に聞こえたとなると、かなりの大声だ。
声が聞こえなくなるのは眠っているか食べているときだけ。周辺の住民は、安在家で騒ぎ声がしていても、見て見ぬふりをしていた。
現在では認知症に対する周囲の理解、治療薬の開発、治療法が確立されつつある。患者本人も介護者も、公的支援等の最新情報を得られやすくなっている。
翻り、芙侑の義父母の話は介護保険などがなかった昭和時代のものである。その時代背景を踏まえて、千早は資料を読み進める。
体力を持て余し、暴れる認知症患者を家のどこかに閉じ込める罪悪感はあっても、現在ほどではなかったと思われる。
家庭内で起きた暴力行為は、家庭内で話し合って解決しろ。昔の警察はそう言って、家族間であれば、暴行事件をも見捨てていた。
虐待しているという認識が欠けていた。
そもそもどうしようもなかった。
限界に近づいていた。
食事を持っていっては罵倒され、清潔な衣服に着替えさせようとすると殴られた。
姑も芙侑も娘たちも疲れ果てていた。
舅を殺して一家心中をしよう。
姑が床の中で泣いた。毎日毎日泣いた。
娘たちは家庭内の息苦しさに押し潰されたくなくて、夜遅くまで友だちの家を渡り歩いて勉強などをしていた。泊めてもらうこともあった。事情を知っている友人の親は、渋々泊めていたようだ。
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