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退職後は時間を気にせず介護できる。
やり始めたばかりでの姑の死去だった。
今生の仕事をやりきった。
芙侑は清々しい気分となった。
娘たちは家庭を持ち、それなりに幸せだ。
思い残すことは何もなく、何もかもが空虚に見えた。心を埋めるものが見当たらず、死にたいと思った。
そこでさて。
どうすれば死ねるだろうと考えた。
鋭利なナイフで首を掻き切るか、紐で首を括るか。景勝地の海で入水するか。山奥の崖から転落するか。
頭の中が空っぽになっていた。
考えが何もまとまらなかった。
どうすればいいのだろう。
ぼんやりとテレビを見ていた。
誰かが玄関の引き戸を開ける音がした。
空き巣が入って来たのか。
では泥棒に殺してもらおう。
名案が浮かび、嬉々として玄関に向かった。
お坊さんが立っていた。
修行僧の黒衣で傘を被り、手甲脚絆を身につけていた。
お布施が要る。
とっさに思った。
お待ちください。
そう言おうとしたとき。
僧侶の懐から、小さな仏像が出てきた。
芙侑に手渡し、
「生涯終えるまで、お護りしなさい」
ひと言だけ口にして、衣を翻した。
足早に去っていった。
小さな仏様は姑のような優しい目をしていた。また会えたわね。姑が微笑んでいる気がした。
その日から、芙侑は自宅に来てくださった仏様を大切に慈しんだ。義父母の法事に訪れる親戚や近隣の者たちに、仏像の由来を何度も何度も嬉しそうに、目を潤ませて語った。
その後、安在家が所有していた田んぼの大半が国道の予定地となり、買い上げの大金が芙侑の手に入ってきた。ぼろぼろだった母屋の改築ができた。
五人の孫はすくすくと育ち、順調満帆な日々が訪れた。それらすべて、お坊さんからいただいた仏像のおかげだと、芙侑は周囲に感謝を述べていた。
ご利益がありそうな仏像を拝ませて欲しい。
顔見知りの者たちから頼まれるようになった。
芙侑は惜しむことなく、屋根付き仏殿に収めていた仏像を、快く拝ませた。賽銭を出すと言う人には、仏前に飾る花代としてもらった。
そうしているうちに、知らない顔の者たちが来訪するようになった。参拝者が増えてきた頃、辛苦を散々舐めてきた芙侑に、身の上相談に乗って欲しいと言い出す者が現れた。
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