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個人的な相談に応じるようになっていたときだった。来春高校生になる孫息子を引き取ることになった。
孫息子の風海裕吾が突然中学校に行かなくなり、二年近く経っていた。パソコンとともに部屋に引きこもっていた。
娘は母の芙侑に心配かけないようにと黙っていたが、秋の日になにげなく、安在家の法事についてくるかと訊いた。行くと裕吾が答えた。これも縁だと連れて出かけた。
裕吾は法要の席で、この家から高校に行くと言い出した。自宅に帰ると、自分で時間割りと登校日を決められる単位制高校を安在家近くで探した。
年が明けて進学が決まると、中学校の卒業式を待たずに、裕吾は祖母の家に引っ越してきた。同居を始めた。
その年の四月から、芙侑は仏像の参拝日と公開時間を定めた。毎週日曜日と毎月一日、十一日、二十一日の午前十時から午後九時を自由参拝として、自宅を開放した。
身の上相談も決めた日時内だけとした。やむを得ない緊急相談や特別な相談事のある人だけ、事前に電話連絡をしてもらい、受けつけた。
細々とした決まり事を作ったのは裕吾だ。裕吾が芙侑に提言して周知させていった。
それまでの芙侑は、仏像を拝みに来た人たちに都合のいいように振り回されていた。
早朝にやって来て泣き叫んだり、深夜に近所中に響き渡る大声でお経を唱えたりする、自分勝手なワガママ人たちが増えていた。
介護で長らく理不尽な生活を強いられていた芙侑は、そんな人たちの横暴さをも容認していたのだ。
それは違う。
相手が甘えているだけ。
やんちゃを言っているだけだ。
裕吾は傍若無人な大人たちを糾弾した。
本当に困っている人を見極めなければいけない。僕が協力する。力強く宣言した。
おかしなことに、参拝日と時間が定まることで、市井の信仰の場として広く知られ、認められていった。
芙侑はフウ先生と呼ばれるようになった。親しまれ、崇め、拝まれるようになっていった。
千早は冷めた緑茶をずずっと飲み干す。
「感動的な話だね」
コピー用紙をバサバサさせて率直な感想を述べた。これでは内偵のしがいがなかっただろうと苦笑する。
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