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しかし、事の重大さを理解するには充分でありました。
被験体が瓦解したのです。
青年は敬礼をすると、「急ぎましょう」とひとこと言って足早に歩き出しました。私はすぐにその後を追いました。
導かれるままに帝都駅の雑踏を進みますと、外のロータリーに出ました。乗り合い自動車(タクスィーというらしい)や、自家用自動車がずらりと並んでおり、軌道を走る路面鉄道がそのロータリーの外の大きな往来を行き違う様子は、岡山の里とは太陽と鼈(すっぽん)ほどの差がありました。
青年は玄関口の真正面に駐まっていた黒い自動車の前で止まり「お連れしました」と私の時よりも上ずった声で言い、背筋を伸ばしました。どうやら車の中に相当な上官がいるようでした。車の奥に人影が見えます。
その後、青年はすかさず後部座席の扉を開けたましたので、私は旅行カバンを青年に渡し、恭しく中の人物に挨拶をしながら乗り込みました。
車内は誰か特別な御仁を乗せるための仕様で、磨りガラスの窓から入る光は薄く、座っている人の顔ははっきり見えませんでした。そのうちに車は動き出します。
私自身、その時はまだ物怖じして顔を真っ直ぐ見ませんでした。しかし、きちんと座ってから顔をあげて思わず飛び退いてしまいました。
その人物は私が蛙の如く飛び退いたのを見て、失笑しました。
「なんだその反応は。化け物でも見たような面じゃないか」
彼はそう言いましたが、私は化け物の方が数百倍マシだと思いました。それは同郷で小中同じ学校であった山川 剛志(やまかわ ごうし)でありました。黒の軍服に軍刀を下げています。恰幅が良いので、二人乗りの後部座席は些か窮屈です。
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