4.蠍の火

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 私の前に座っている彼は、自分からここに来たくせに、この世で一番退屈だというような顔をしている。あくびをする直前の猫みたいな顔だ。  それが面白くて、ずっとその顔を見ていた。私自身、退屈だったということもある。  視界を曇らせるたくさんの種類の煙草の煙。鼻につく油臭いからあげの匂い。絡んでくる酔っ払いに苛々している店員。カランとぶつかる固い氷の音。それを打ち消す卑しい笑い声。肩に触れる女。触れられて喜ぶ男。  全部、不快だった。何一つ面白いことなどない。こんなことだとわかっていたら、私だってここへは来なかった。  大体天体観測サークルと聞いてやって来たのに、屋内で新歓をやることなんて間違っている。こんな大衆居酒屋で星を見ることができるとでも思っているのだろうか。  まあ、思っていないだろう。  たぶん、まず星を見ようと思っていないのだ。きっと名ばかりの、出会いの場を欲するだけの男女が集まって結成したサークルなのだろう。  くだらない。  店員が運んできたチャーハンに箸を伸ばす。美味しくなさそうなチャーハンだった。米はねちゃついて、玉子が焦げている。  おいしい素材の頂点に立つ玉子をまずく変えるような調理をする店は信用しないようにしていた。もちろんこの店もそのリストに入れる。  やけくそのようにご飯を掛け込み、水を飲もうとした時に気づく。退屈そうだった彼が、いなかった。  慌てて周りを見渡す。私達のいる個室の扉の前を横切る彼の後ろ姿がちらりと見えた。  隣で頻りに話しかけてくる女と酒のことしか頭にないような男を振り切り、後を追いかける。  どうして追いかけるのか、自分でもよくわからないままに。
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