4.蠍の火

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「単純に、本が、好きだった、から」  息を整えてから話したつもりが、言葉が切れ切れになってしまった。宗一くんは私が疲れ切っていることに気づき、休憩しようと提案してきた。  だけどあと百五十メートルと看板に書いてあるし、ここまできたら前へ進もうと頑固に言い張った。低い低いと言われている奥野山すら攻略できないのでは登山に負けた気がする。 「本にはさ、特に小説とか、物語にはさ、それぞれの世界があって、それぞれの人や時代の考え方が描かれていて、それを知って、私がこの世界にいたらどうするか、どうなるか、そんなことを想像するのが楽しいんだよ」  喋っている内に、息が整ってきた。疲れも軽減したような気がする。クライマーズハイという状態かもしれなかった。疲れ過ぎて、峠を越えたのだ。  そうなると気分は楽だ。峠を越えた曽野田選手に応援団が拍手のエールを送ってくれている。そんな気がした。 「僕は、小説を読んだことは、あんまりないなぁ」  宗一くんは目を細めながら、笑った。笑顔がとても素敵だと思った。夜でもはっきりと柔らかな喜びが伝わってくる笑みだ。鬱蒼と闇を作りだしている山の中とは思えないほど眩しい。 「星が好きなら、『銀河鉄道の夜』を読んでみたらいいよ。数学の話は出てこないけど、夜空をこんな表現で描くんだって、わくわくするよ」  薦めておいて、後悔した。『星の王子様』にしておけばよかった。『銀河鉄道の夜』は、今の彼には、合わなかったかもしれない。彼は今、繊細になっているだろうから。 「私は、銀河の渦巻きは良くわからないんだけど」取り繕うように、話を変える。 「人は、どうして星を見上げると思う?」
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