愛ゆえに遠くて

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 しばらく、サビ色のジャケットが大きく前後へ揺れるをしていたが、45度右へすうっと向き直り、廊下の壁が背中全体に広がり、シルバーリングのついた繊細な右手で口元をふさぐように当て、目の縁に涙という線が出来た。 「……くっ……っ! くくっ……っ! っ、っ、っ……!」 (苦しんでいるのに……見ていることしか出来ない……。  俺は何も出来ない。  何かを返したいのに返せない。  貴様から愛はたくさんやって来るのに……。  俺は愛を貴様に返してやれない……。  愛しているのに……)  愛ゆえに伝えられない想い、手を伸ばしたくても伸ばせない立場。それでも、本当に苦しいのは自分ではなく相手。だから、涙を瞳から絶対に落としてやるものかという強情の元、視界は歪み続ける。  ガス灯のオレンジ色と満月の銀の光が入り乱れる、誰もいない廊下で、男の忍び泣く声がしばらく響いていた。
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