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「私、志保がこれを書くのはもう
命が長くないからです」
という文章から始まっていた。
志保家族がこの部落にやって来たのは
塩川流域の平坦な地方で暮らしていた
部落民の抗争から逃れて来たのだった。
厳しい冬に備えての食糧確保、作物や肉、
川の流域では鮭の遡上がメインだった。
その鮭の捕獲で部落同士でいがみ合う、
強い部落だけが生き残る、それが掟だった。
志保の父正太と母雅子の部落は弱小部落だった。
家族は命の危険を感じて逃げ出した。
そしてたどり着いたのが山麓部落だった。
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