その5 志保の全容

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 「私、志保がこれを書くのはもう 命が長くないからです」  という文章から始まっていた。 志保家族がこの部落にやって来たのは 塩川流域の平坦な地方で暮らしていた 部落民の抗争から逃れて来たのだった。  厳しい冬に備えての食糧確保、作物や肉、 川の流域では鮭の遡上がメインだった。 その鮭の捕獲で部落同士でいがみ合う、  強い部落だけが生き残る、それが掟だった。  志保の父正太と母雅子の部落は弱小部落だった。 家族は命の危険を感じて逃げ出した。  そしてたどり着いたのが山麓部落だった。
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