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「また泣いている」
突然頬に触れられて、テクタイトは目覚めた。
自分の周りは空気で満たされている。だから決して静かではない。空気の流れる気配に乗って、様々な振動――音が、鼓膜を揺るがす。小鳥のさえずる音。朝の音だ。
瞼を光に刺激され、ほんの少し痛みを感じた。朝、それは、夜があるから朝という概念がある。自分は今、星の上にいる。
ゆっくりと目を開くと、ベッドに横たわる自分を女性が顔を近づけて覗き込んでいる。
マスター、と呼ぼうとするより先に、紅の乗った艶のある唇が動いた。
「泣き虫」
冗談めかした口調でそう揶揄すると、亜梨紗はテクタイトの目元をゆっくりと指でなぞった。滑らかな手触りの指が、テクタイトの涙で濡れ、それが肌の上を滑る。その感触に、一瞬彼の身体の芯が震える。緊張と弛緩の狭間の、奇妙な感覚。それは恐怖のようであり、快感のようでもあり、彼の思考を奪い去ろうとする。一度身体を固くし目を瞑ったテクタイトが、もう一度目を開けると、亜梨紗はすでにベッドから立ち上がって歩み去っていた。
テクタイトはしばしばあの宇宙の夢を見て、規定の時間に目覚められなくなる。その度に亜梨紗はこうやって起こしに来るが、いつもあの奇妙な感覚が沸き起こる。そのことを亜梨紗に打ち明けた事はない。口にすべきではないことのような気が、なんとなくしているからだ。
「申し訳ありません、また寝過ごして――」
慌てて起き上がると、くすくすと笑う亜梨紗の声が聞こえる。
「良いわ、たまには。朝食を作るからゆっくり着替えていなさい」
台所からは既に何か炒め物をしている気配が、音と、においと、熱気で感じられる。
空気がある。それは、離れた場所からの何かを、知らせてくれる。
自分は今、地球にいる。
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