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時刻の上では五時半を少し回った所。五月も半ばとはいえこの時間は少し肌寒い。日も陰りそろそろ夕闇が夜の帳を下ろし始める頃合いだ。 これでも新学期が始まった頃に比べると大分寒さも和らぎ、過ごし易くはなったのだろうが今月からブレザーを着るのを止めた私達にとっては少し足早に駅までの道のりを歩かせるには十分な理由となった。 私の通う明石西高校は、自宅からは一駅離れた土地にある。行きは最寄り駅の魚住駅まで十分の道のりを歩いて電車に乗り、さらに隣の土山駅から十分程歩いて到着となる。なので家から高校までは長くても三十分程の道のりとなる。 今は帰りなので道程はその真逆。一人の時間を過ごす事に慣れている私だからあっという間に家に着いてしまう感覚なのだが、今日は隣にもう一人いる。 私はこんな寒さの中だというのに手は汗ばみ動悸もそれなりに脈打っていると言って差し支え無い程には緊張していた。 高校二年生にもなってまともに同い年の女子と会話する事に慣れていないのだからこんな感じにもなってしまうというものだ。 というか小学生の頃の方が別段誰とでも気兼ね無く話せていたような気がする。とは言っても積極的に、とは口が裂けても言えないが、それでも今よりは多少マシだったのではないかと思った。 「高野。さっきの相談したい事というのは?」 私はもやもやと余計な思考を巡らせながら、思いきって高野に話を振ってみる事にした。何だかんだで校門を過ぎてから数分間一言も会話をしていない。そうこうしているうちに辺りも暗くなってきてお互いの顔も見えずらくなってきた程だ。 この時期の夕方から夜へと移行していく時間は急だと認識しているが、周りの環境の急速な変化に自分自身一種の焦りのような感情と視覚が若干封じられた事によって気が大きくなり始めたのも手伝って何とか声を掛けるに至る事が出来た。 「あ……実は……同じクラスのめぐみちゃん、あ、椎名さんのことなんだけどね」 私はいきなり高野の口からその名前が出てきて心臓が跳ねる思いだった。ようやく言葉を捻り出せたというのに急にひよった気持ちになる。 「あ、ああ。椎名がどうかしたのか?」 私は内心の動揺を悟られまいと、至って平静に返事をしようと試みる。少し声が上ずってしまっているようにも感じるが、ここで口をつぐむよりはきっとマシだろう。 「同じクラスの綾小路くんが、ね。最近よくめぐみちゃんに話しかけにくるんだけど……。いつもその度にめぐみちゃんをデートに誘ってて……。その度にめぐみちゃんも断ってはいるんだけど……。なんだか今日とかはもう困ってて……。わたしもどうにかしてあげられたらいいんだけど……。どうしたらいいかわからなくて……。わたし、そういう経験ないから。でも友達だから放っておけなくて……って」 拙いながらも一気に内容を話しきる高野。正直変に緊張してしまって話が半分くらいしか頭に入っては来なかった。 要するに綾小路からの誘いに椎名が嫌がっていると察してどうにかしたい、とそんな感じか。 確かに綾小路はよく休み時間などに椎名の席に行っているのを見かけた記憶はあるが、そんな事になっていたとは。私には到底真似できない所業だな。 しかしこんな相談をなぜ私にしてくるのか。そもそもそういった問題に対する対処は私の最も苦手とする所。正直私にはうまく答えかねるのだが……。高野もそれくらいは分かっている筈だと思うが。 高野とは小中高と同じ学校。幼なじみという程に近しい仲では無いが、お互いがどんな性質の人間かなどという事は多少は知り得る程には接点がある。まあ接点がある人間が私くらいしか思い付かなかったという風に考えれば頷けなくは無いが。 ちらと横を歩く高野を見やると斜め下方を見つめながらとぼとぼと力無く歩いているように見える。いつの間にか私達の歩幅は緩やかな進度でもって歩んでいた。 不意に彼女の真摯な想いに何とか少しでも役に立てればという想いが芽生えた。 せっかく勇気を出して私なんぞに相談してくれたのだ。苦手とはいえ頭をフル回転させて回答に挑もうではないか。 ふうっ、と私は短めに息を吐き出した。 「そんなことがあるのだな。しかし、同じクラスでいつも同じ空間にいるというのに全く気づかないものなのだな」 そして一呼吸おいて私はさらに答えた。彼女と反対側に位置する手の拳をぎゅっと強く握り締める。 「正直私もこの手の話題には疎くて、高野が望むような答えは得られないかもしれないが、いいだろうか?」 「あ、うん。もちろんだよ?」 高野は弾かれたようにこちらを振り向き、更に歩く速度を遅めた。私もそれに合わせてゆっくりとしたペースで歩く。街灯の点いていない歩道は思ったよりも暗く、それでも彼女の瞳が揺らめいているのだけは分かった。 「まず、高野はどうしたいのだ?」 「え……、どうしたいか?」 暗くてはっきりとは見えないが、高野はきょとんとした表情をした、ように感じた。 「うむ。椎名を助けたいのは分かるがどう助けたいのだ?綾小路に直接困っている事を伝えるのか?」 「う……、それは……わたしなんかじゃ……」 「そうだな。高野はそんな事を直接相手に言うタイプではなさそうだからな」 「……」 高野は結果俯いてしまった。自分自身が考え無しだったなどと反省しているのかもしれない。だが私が伝えたいのはそんな事では無い。そこで続けて次の言葉を高野に投げ掛ける。出来るだけ、やんわりと。 「だが、それでいいのではないか?」 「え……? どういうこと?」 「高野が今私にこうして椎名の事を心配して相談を持ち掛けている。椎名が困っているのを見て何とか出来ないかと頭を悩ませている。それだけでも既に椎名は助けられているのではないかと私は思うのだよ」 何とも苦しい言い訳のような回答だが、それでもこれは私の本心だ。もしそういう風に自分が何か困った事があった時、親身になって自分の事を考えてくれる人がいると思える事は心強い事だ。 「そう……かな? でもこれじゃあ何の解決にもならないよ?」 「それを椎名は望んだのか? 高野に助けてほしいと言ってきたのか?」 「……いや、大丈夫だって言ってた」 まあ私の知る限り椎名が誰かに弱音を吐いたり素直に助けを求めたりする姿は全く想像出来ない。ましてやそれを今高野に打ち明けるというのは余りにも酷なような気もする。しかし本人がそう望んでもいないのに周りが勝手に何かするというのは却って迷惑ではないだろうか。 勿論そんな事まで高野に言うつもりは無いが。 「なら何も焦ることはあるまい。しばらく様子を見ておればよい。なに、私もそんな事になっているなんて知らなかったのだ。そんな大事でもあるまいよ。そんなに心配ならば、高野が側についていてくれるだけでも椎名は助かるだろう。高野が椎名の事を心配してくれているという想いはきっと椎名に伝わっているだろうしな。それでもどうしても高野が椎名の事を助けたいと、何かしてあげたいと願っているのならば」 「願っているのならば?」 「その時は考えるよりも体が勝手に動いているのであろう」 最後はそんな物言いで締めてはみたものの。正直言うに任せて言っただけ、という感じは否めない。私自身答えが見出だせている訳では無い問題に正解となる回答を答えられる訳は無い。 ただ高野にとって私からの話を一つの意見と受け取ってもらい、何かしらもやもやした想いを払拭する手伝いがほんの少し出来る程度の効力があれば万々歳だ。 何とも情けない事であるが、今の私にはこれくらいが限界だ。 一人べらべらと喋っていたようだ。暗がりというのも手伝って高野の表情をしっかりと確認は出来ないが大丈夫だっただろうか。 私はちらりと俯きがちな高野の顔を覗きこんでみた。 「そっ……か」 ぼそりとそう呟くと、急に顔を上げる高野。 「君島くんはやっぱりすごいね!」 「……っ!?」 私は凄く面食らってしまった。 それは急に顔を上げたからだけでは無い。 顔を上げた高野の表情が、暗がりの中でもはっきりと分かる程に満面の笑顔だったからだ。
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