29、意識せずには

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 それがいつのまにか先輩として頼りにされるようになって、懐かれて……。  目の前に神田がいるというのに椎名を思い出して、ともすると頬が熱くなりそうになる。それをアイスコーヒーを飲んでごまかした。  幸いにも神田は気付かずに「望月はデザインの質よりスピード重視だもんな」とまだ仕事談義を続けたいようだ。 (面倒くさいな……)  別にデザインの質をないがしろにしているつもりはない。  そう反論したいが、それをすると話が終わらない。 「まあね……ブラッシュアップはチーム全体でしていくものだし」 「別にそれは一理あるし、否定はしないけどさ。つまんなくない?」 「全然。私、ここに仕事しにきてるだけだから」 「おーおー、さめてるね」  神田は肩をすくめると「だから最近の椎名のデザインもつまんなくなってるんじゃないの?」と沙和をねめつけた。 「何それ」  聞き捨てならない言葉にこめかみが引きつる。神田は口元だけ笑みの形をつくると、沙和に挑戦的な視線を向けた。 「いや別に? たまたま廊下のポスター見てそう思ったところに、ちょうど望月がいたからさ。今のメンズラインのビジュアル、椎名だろ?」 「そうだけど。椎名君はちゃんと要望通りのデザインを作ってるよ」 「デザインは、相手の期待を裏切るくらいのものを作るのが醍醐味じゃんか。俺のとこにいた時は、確かにスピードは遅かったけど今よりずっと独創的なもの作ってたぜ。あんな誰でも思いつくような……」 「……それは違うでしょ」  頭が沸騰しそうなくらいに熱いのとは裏腹に、指先がしんと冷えていく。その妙な感覚とともに、目の前の神田の顔が歪んでいった。何か膜を通して彼を見ている感じ。  そうか、あんまり怒ると、視界すら相手をシャットアウトしようとするのか。  どこか冷静な部分でそんなことを思いながら、沙和は口を開いた。 「誰にとっても身近なデザインだから、商品を親身に感じさせることができるんでしょ。神田君が今デザインしてるのがどういうものかは知らないけど、少なくとも今回必要だったのはそういう部分だから」 「でもさ……」 「椎名君はよくやってるし、センスだって抜群だよ。確かに神田君もすごいのかもしれないけど、椎名君が劣ってるとは思わない」  バカにするな。  椎名を、侮辱するな。  彼は真面目で、有能で、沙和にとっても大事な……。
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