29、意識せずには

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「ちょっとした冗談じゃん。そんなムキになるなよ」 「冗談っていうのは、誰も傷つけないものを言うんだよ」 「いや、だからさ。……ていうかお前って、そんなに怒るやつだったっけ? まわりなんて大して興味ないキャラじゃなかった?」 「神田君があまりにとんちんかんな言いがかりつけるからでしょ」  少しだけ残っていたアイスコーヒーを飲み干すと、沙和は先に立ち上がった。神田が少しあわてたように「悪いって……」と声をかけてきたが、沙和は「別にもういいよ」と軽く応えて、休憩コーナーをあとにした。    気晴らしに行ったはずなのに、かえってストレスがかかってしまった。 (今日は運が悪いのかも……)  きっとおとなしくしていた方がいい日だ。 (なのに)  席に戻ると、隣のふわ髪男子がいないのが気になる。まさか神田との話を聞かれたのではと焦って姿を探すと、椎名はプリンターの前にいた。ほっと胸をなで下ろして、沙和は作業を再開することにした。   (集中しろ!)  椎名の気配もシャットアウトして、ひたすらマウスを動かす。  自分の想像の中ではできていることなのに、実際のところ沙和にそれを実現することはできなかった。  椎名の元に女子社員が来て穏やかに談笑すれば、耳ばかりに意識がいってしまう。律儀に沙和は回数まで数えていて、本日、椎名の席へ女子社員が来た回数は実に五回。  明らかにみんな大した用事がないけれど、椎名と話がしたくて訪れているようだった。  これまでなら全く気にならなかったのに、というか気付いてもいなかったのに、今日に限って妙に椎名に関してアンテナが張ってしまっている。  いちいち気にして疲れてしまった沙和は、早めにあがることにした。 (なんなの私……)    自分で自分に呆れてしまう。気にしすぎだし、影響受けすぎだし、意識しすぎ。  過剰反応もここまでくると、情けなくなってくる。  はぁと深いため息をついてからパソコンをシャットダウンしていると「もうあがるんですか?」と元凶から声がかかった。 「あー……うん、今日はなんか疲れたから」  片付けを続けながら声だけで返事をすると「じゃあ俺もあがろうかな」と椎名もごそごそと書類を整頓し始めた。うげっと思ったが、断る理由もない。実際に椎名は沙和とほぼ同じタイミングで自身のリュックを背負い、沙和に笑いかけてくる。
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