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セト化粧品では規定により、二十時には全社員が退社しなくてはならない。それ以降に残業するには届け出が必要なのだが、どの上司もそれをしたがらない。残業イコール仕事量の管理ができていないという評価につながるからだ。
ものすごくありがたい制度である。
普段はその恩恵を甘受している沙和だが、今日はこの制度をもってしても間に合わない。
(優先順位の高い仕事から進めていって、あとは月曜にまわすとして……何とか十九時にあがれるか……)
今日やるべき分を頭の中でイメージしていると「お疲れでーす」と爽やかな声がかかった。顔を上げると、沙和の隣の席の後輩、椎名昴が休憩コーナーに入ってくるところだった。目が乾燥してしょぼしょぼしている沙和とは対照的に、椎名は大きな丸い目をきらきらと輝かせて「ようやく金曜まできましたねー」と花がほころんだような笑顔を見せる。
彼は『セトの一番星』と女子社員から妙な二つ名で呼ばれている社内のアイドル的存在である。沙和よりも二つ下(つまり壮太と同い年)なのだが、新卒に見えるくらいに童顔だ。セト化粧品のメンズラインを愛用しているため、肌もつやつや。広告塔として申し分ないビジュアルなので、普段は沙和と同じく制作の仕事をしているのだが、色々なイベントの時には引っ張りだこになっている。
椎名はカフェオレを買うと、沙和に向かい合うように座った。やっぱりこの時間は休憩したくなりますよねぇと笑いかけてくる椎名をみて、ピンと閃く。
「椎名君、良いところにきた」
「はい?」
「あと何ページ残ってる?」
現在沙和が作っているのは、通販会員向けの会報誌だ。全二十ページの内、椎名と半分ずつ分担して作業を進めている。椎名の「えーと……あと六ページってとこです」という言葉に沙和はうなずき「ちょっと椎名君に相談したいことがあるんだけど」と切り出した。
嫌な予感がしたのか、椎名は片方の口の端をあげて「何ですかー?」と心なしか後ずさった。
「あのね、私ちょっと今日野暮用ができたから、どうしても十九時にあがりたいの。……二ページ受け持ってもらえない? もちろんお礼はするよ! ランチおごるか、来週何か仕事代わりに受け持つから……どう?」
「えー、俺こそ今日は十九時にあがろうと思ってたんですけど」
「う……そ、そっか……」
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